SATO COMPANY
の想い

SATO COMPANYブランドロゴ

木製パレットの無限の可能性を引き出す。
55年目を迎えるSATO COMPANYの、伝統と挑戦の物語。

SATO COMPANYからの手紙

インタビュー

製紙メーカーのお悩み事解決のため木製パレットの回収、修理、再配布を行うSATO COMPANY(旧 佐藤商店)さん。
初代である父の急逝により急遽会社を継ぐことになった2代目 舘野さんが、木製パレットを通じて想い描く未来とは。

ここは、作り手の「こころ」が覗ける場所。

参加者

焼田の写真

Eris 焼田

舘野さんの写真

SATO COMPANY 舘野

焼田の写真

– Eris 焼田

SATO COMPANYが作る「コト」について教えてください。

舘野さんの写真

– SATO COMPANY 舘野

印刷会社さんから不要になったパレットを回収し、修理して再利用したり、パレットを使用した家具や遊具などを制作し販売しています。最近ではイベントに出展しパレットから作られた遊具を使用した子供たちの遊び場を提供するなども行なっています。

SATO COMPANYの取り組み

SATO COMPANYの取り組み

焼田の写真

– Eris 焼田

SATO COMPANYさんは50年以上続く歴史のある会社ですが、元々はどんなところから始まった会社なのでしょうか。

舘野さんの写真

– SATO COMPANY 舘野

元々は私の父が立ち上げた会社になります。父は印刷会社さんとの繋がりがあり、印刷会社の皆様のお困りごととして木製のパレットが余るという問題があるという相談を受けていたことが起業のきっかけになりました。パレットには各印刷会社さんの名前も入っているためただ引き上げてきても邪魔になるだけでした。そこで、修理をしてまた返した方がコスト削減にもなるしいいんじゃないということで、修理と仕分け、再配布をすると言う仕組みを作ったというところが始まりです。

不要になった木製パレット

使用済みの木製パレット

木製パレットを修理する様子

木製パレットを修理する様子

焼田の写真

– Eris 焼田

創業当初から今で言うサステナブルな事業をされていたのですね。
お父様のお仕事を舘野さんが継ぐことになった時、最初はどんなお気持ちでしたか。

舘野さんの写真

– SATO COMPANY 舘野

正直言うと私がやるとは思ってなかったんですよ(笑)
登記を出す段階で母は70になる頃だったのですが、会社のこれからを考えると「私じゃ(年齢的に)無理」ということになり、急遽登記を変えたいと母から言われたんです。
父が亡くなる1年ほど前から経営や電話番など会社のお手伝いをしていたという経緯もあり、「あなた(舘野さん)がいるじゃん!」ということで私になりました。後から聞いた話では、父はもともと私に会社を継がせたかったらしいんですよ。

SATO COMPANYの社内風景

舘野さん(左)と社員の方々

焼田の写真

– Eris 焼田

何か理由があったのでしょうか?

舘野さんの写真

– SATO COMPANY 舘野

私は4人姉妹の末っ子なんですが、姉3人は真面目で優秀だったんです。私だけ自由奔放な感じだったので適任だと思ったのではないでしょうか(笑)
ただ本当になんの前触れもなかったので、驚きは大きかったです。

焼田の写真

– Eris 焼田

舘野さんが代表になられてからさまざまな新しいことにチャレンジされているようですが、そのきっかけや原動力はどういった部分にあるのでしょうか。

舘野さんの写真

– SATO COMPANY 舘野

夫の仕事の関係で7年間ドイツに住んでいて、そこで経験したことが大きな原動力になっていると思います。
私自身この仕事をやりながら日本の人工林の問題などを知り、その中で何ができるかを考えたときに、ドイツでの暮らしを思い出しました。ドイツでは日本よりも「エコ」や「サステナブル」という考えが生活の一部になってる、馴染んでいるなと当時を振り返って思ったんです。

ドイツでの生活風景 シャボン玉

ドイツにいた頃の舘野さんと娘さん

焼田の写真

– Eris 焼田

具体的に日本とドイツでどういった違いがあったのでしょうか?

舘野さんの写真

– SATO COMPANY 舘野

日本はゴミが出たら捨てるっていう感じなんですけど、ドイツだと街中の至る所に紙やビン、お洋服のリサイクルボックスがあったり、ビオトーネという、木をその中に入れておけば腐葉土として使えるようになるものがあったり、もみの木をクリスマスに使ったらみんなで一斉に出す日が決まっていたりなど、生活の中で「わたしたちは使わなくなったけど誰か必要な人が使ってね」というような循環が街の中で自然とできているんです。スーパーではペットボトルを持って行って機械にいれると本数に応じてお金になって返ってきたり。子供たちが興味を持つきっかけにもなっています。

街にある瓶や服などの回収ボックス

自宅からの風景(砂場の右にはゴミステーション)

焼田の写真

– Eris 焼田

生活の中に溶け込んでいるんですね、素敵です。

舘野さんの写真

– SATO COMPANY 舘野

そうなんです。最初の子育てをドイツでしていたので、日本に帰ってきてから大きなギャップを感じたことが会社での取り組みにも繋がっていると思います。
正直私が会社を継いだ時はパレットや物流の知識がなく、父の仕事についても全然知らずにいましたが、ドイツでの生活で染み込んだSDGsへの取り組みが今の仕事と繋がったと感じたとき、自分の中で大きな変化がありましたね。「これでいいんだ」という。

最初の子育てはドイツで

焼田の写真

– Eris 焼田

ドイツでの経験が今のSATO COMPANYさんの活動にそのまま反映されているんですね。

先日お伺いしたイベント(※下写真)でも、子供たちが楽しそうに積み木で遊んでいる姿が印象的でした。どういった経緯でこのようなイベントを開催するようになったのでしょうか。

恵比寿のエシカルイベントの様子

恵比寿の環境イベントで設置した積み木ブース

舘野さんの写真

– SATO COMPANY 舘野

to C向けにパレットの廃材を使った製品を売り出したいけど、どうしたらいいか悩んでいました。そんなときに「積み木にしてみない?」というアイデアが出たので、試しに作って子供たちに渡してみると、集中して自発的にいろいろな遊びを作り出していたんです。その姿を見て「私たちから子供に何かするよう伝えるのではなく、場を提供してあとは子供たちの想像力を存分に活かす」というところにたどり着きました。積み木広場を置くようになったのはそこからですね。

イベントを開催するようになった元々のきっかけは、近くの学校さんから「何かSDGs関連で一緒にやれることはないか」とお声がけいただいたことです。最初は、パレットを作るときに出る廃材をやすりがけしてツルツルにしてみよう! というワークショップをやったりしてましたね。

恵比寿のエシカルイベントの様子2

ブースではたくさんの子供たちが積み木で遊んでいました

焼田の写真

– Eris 焼田

子供の想像力から着想を得ていたのですね。私も小さい頃は積み木でおままごとなどをして遊んでいたのを思い出しました。

SATO COMPANYさんの、今後の展望について教えてください。

舘野さんの写真

– SATO COMPANY 舘野

50周年を機に社名とロゴを「佐藤商店」から「SATO COMPANY」と英語に変えた理由にもなりますが、SATO COMPANYのカルチャーを世界にも発信していきたいと考えています。
日本の国産材でできたアイテムを発信していくことで日本の独特な人工林について知ってもらったり、SATO COMPANYという会社のカルチャーを発信することで、「こんなことをやっている会社があるんだ」と知ってもらい、様々な価値観の方が暮らすこの地球上での選択肢を提供する役割を担いたいと考えています。

SATO COMPANYのロゴ写真

コト

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